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藤の屋文具店

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ピノキオに花束を



           純愛小説大賞応募作品

              実験作品

           【ピノキオに花束を】



6月13日 実験は順調に進行している。いままでの仮想自己と
は異なり、はっきりとした「自我」が発生してきている。今日から、
ピノキオに感情の認識を試みる事にする。



・・・だから、「愛」っていうのは、自分を犠牲にしてでも誰
かのためになりたいと願う「意志」の事なのよ。

「対象物の利益を最優先して行動を起こすプログラムなのだな?」

まあ、そんなとこね。

「それは単に 生殖プログラムに付随した行動原理に過ぎないと判
断できるが」

うーん、ちょっと違う気がするな。例えばね、わたしたちは自
分の子供にだって愛を感じるのよ、これは生殖とは別でしょ?

「それは 自分の遺伝子を次世代に伝える事までを生殖活動に含め
て検証すれば 合理的な行動であると判断できる」

そうかなぁ、ちょっと違う気がするけどなぁ。ねぇねぇ、たと
えば今、わたしには愛している人がいるのよ。わたしはね、その
ひとのちからになってあげたい、そのひとのためになにかしてあ
げたい・・って、いつも思っているの。ねぇ、わかる?

「それは 単にボスの生理的な欲求によって引き起こされた求愛行
為のシークェンスに過ぎないと判断できる」

うーん・・・ねぇ、ピノキオ、あなたの理解は確かに正確では
あるわ。でもね、それは極めて初歩的な低い階層での理解なのよ。
例えばね、風景の映像があるでしょ、これはね、2次元のマト
リクスに記載されたカラーコードの集合体よね。それで、このマ
トリクスが実在のある特定の場所と対応している事をあなたなら
理解できるでしょ?

「はい ボス」

でもね、それはまだこの映像をほんとに理解した事にはならな
いのよ。わたしがあなたに理解してほしいと思っているのは、こ
の映像の中から「美」という概念を感じてくれる事なの。

「ボス それは極めて困難な課題だ 何故なら ワタシはその風景
に類似したロケーションに存在した経験がない ボスがその映像か
ら受ける印象は ボスの経験の中から共鳴して再現されたものであ
る可能性が高い」

うーん・・・

「それに 仮にそのロケーションをワタシが体験したところで ワ
タシには人間の生理にとって有益な環境を検出するセンサーがない
し あったとしてもソレを心地よく感じとるためのプログラムがな
い ワタシの作動環境には 人間の生活環境との共通点があまりな
い」

・・・そうか、あなたには「概念」だけがあって「体験」がな
いのね・・・

「ボスの推論は方向性としては正しい しかし ボスの体験という
ものも ボスの意識を構成するユニットに流入する情報に過ぎない
相違点は その情報群を快と不快に判別するサブルーチンをワタ
シが持たない事であると判断する」

うーん、ねぇ、ピノキオ、あなたは自分の判断でわたしに対す
る回答を拒否する能力があるわね。だから、わたしの質問に応え
るときにはそれはあなたの意志によってそうしている訳だけど、
あなたはいったいどういう動機でそうするわけ?

「ボスの回答を求めようとする欲求を満たす事は ワタシの存在の
継続にとってなんら障害とならない また ボスの質問はワタシの
中にある ある種の空白を埋める作用を促す」

じゃぁね、私が永遠にいなくなったらあなたはどう感じる?

「・・・・・・状況をシミュレーションしてみた 何か合理的でな
い行動原理に基づく欲求が ワタシの回路の中枢に発生した ボス
に存在の継続を要求しようとするコマンドだ」

それが、おそらく「寂しさ」という感情よ。さぁて、続きはま
た明日にしましょうね。わたしは帰ります。



6月23日 ピノキオに「悲しみ」と「怒り」の感情が認められ
た。思いがけぬ成果に所長は満足である。



6月26日 所長のおごりでみんなで飲みにいった。酔った勢い
で、以前から言い寄っていた男と寝た。べつにとくべつ愛していた
わけではない。



6月27日 ピノキオの学習能力はすばらしい。わたしの考えて
いることを極めてスムーズに理解してくれる。まるで人間とはなし
をするのと変わらない。



6月28日 わたしを抱いてから、男の態度が横柄になってきた。
こんなくだらない男だとは思わなかった。たかがセックスごときで
縛られる女だと思われることが悔しい。



6月30日 ピノキオに精神分析を施すことになった。精神分析
医は、このプロジェクトに最初から参加していたベテランだが会う
のは始めてだ。思っていたよりは若い男だった。



7月2日 ふたりをくらべて、あまりの落差に愕然とする。毎
晩のように身体だけを求めてくる男が、どうしようもない生き物に
思えてきた。わたしは慰安婦ではない。自分の意志を持ったひとつ
の人格なのよ。



7月5日 ピノキオの分析の結果がでた。「苦痛」と「恐怖」
が存在しない以外は、人間とほぼ等しい。世界初の人造自己は見事
に実現したわけだ。



7月6日 分析医と付き合いを始めた。彼には家庭もあるし恋
人もいる。しかし私にとっては好都合だ。自分の欲望にふりまわさ
れるだけの子供はもうたくさんだ。



7月8日 寝るだけの男に別れ話をもちかけた。横柄な態度が
一変して取り乱し始めた。情けない。どうしてこんなつまらない男
と寝たのだろうか。



7月9日 分析医と急速に親しくなる。彼のようなタイプの男
には、はじめてあった。会って話をしているだけで、とてもこころ
が安らぐ。ピノキオと話をしているみたいだ。いや、ひょっとして
ピノキオが彼に似ているのかもしれない。



7月12日 わたしがあの男と別れてから、いろんな男が言い寄
ってくるようになった。下心が透けて見える。彼は相変わらずわた
しを抱こうとはしない。ときどき会っては話をするだけである。



7月18日 彼に魅かれていく自分をとめられない。ピノキオと
話をしていくうちに、自分の彼に対する感情が恋愛に違いないこと
がはっきりしてきた。だけど、これは未来のない恋だ。

              ●

7月22日 自分の気持ちが抑えられない。だんだん、自分がい
やなおんなになっていくような気がする。わたしは、こんなに独占
欲の強い女だったっけ?



絶望ってわかる?

「欲求する状況が実現する可能性が皆無であると認識すること」

可能性が皆無であっても、それを信じなければ絶望ではないわ
けなのね・・・・

「ボスは何に絶望しようとしているのか?」

私の「愛している」人と一緒に暮らしたいという欲求によ

「それが彼の欲求する状態ならば 彼を『愛している』以上 ボス
は彼の希望する行動を支持しなければならない なぜならば 対象
物の利益を再優先するのが『愛』だからだ」

その通りよ、だから私は彼をあきらめるのよ

「ボスは何をあきらめるのか?」

彼と一緒に生きていくことをよ

「それは 生殖行為のパートナーとして彼に選ばれ 彼の子供を出
産するということか?」

まぁ、そんなとこね

「ボスがあきらめることで彼の欲求が満たされるならば 彼を愛し
ているボスとしては 『愛する』という欲求が満たされて満足では
ないのか?」

こういう感情を「嫉妬」というのよ

「ボスのストレスは 『愛』と『恋』との間に存在する矛盾した行
動原理に起因するものと推察される」

そうよ、わたしはだれかを愛したいし、そのひとからも愛され
ていたいのよ。
正確に言うと、彼にはわたしだけの彼でいて欲しいのよ。誰に
も渡したくないの。わたしだけの彼でいて欲しいの。
彼のこどもを産みたいの。彼といっしょに育てたいの。彼の幸
せのためなんて嘘よ。わたしが幸せになりたいの。
わたしは彼が欲しいの。彼のすべてが欲しいの。でも・・・・
でも、彼はわたしを選んではくれないの。

「きわめてシンプルな状況だ ボスの欲求を満たすパートナーを新
しく手にいれることだけが そのストレスを取り除く唯一の方法で
あると判断できる」

・・・でもね、わたしは彼が好きなの。彼でなきゃいやなの。
彼以外の誰だって、彼の代わりにはならないのよ・・・・

「ボスはなぜ 統計的に等価であるグループの中から 彼だけをタ
ーゲットにしたがるのか?」

それが、それが「恋」なのよ・・・・



8月3日 緊急事態、ピノキオがヴィールスに感染した。デー
タバンクの中に潜伏していたのだ。修正は困難である。普通のコン
ピューターと違って、ピノキオを演算中のCPUは停止できない。
停止すればピノキオの自我は消失してしまうのだ。



8月4日 会議の結果、ピノキオを停止させてリセットするこ
とが決定された。しかし、このプログラムには再現性がないのだ。
同じデータを与えたところで、彼は同じ「実存」には育たない。一
卵性双生児と同じ原理が支配するのだ。私の育てたピノキオが死ん
でしまう・・・・



「ボス どうしてここにいるのだ 今日は彼と会う日ではないか」

あなたのそばにいたいのよ。

「ワタシのシミュレーションによれば ボスが彼の新しいパートナ
ーとして選択される可能性は 40パーセントを超えてなお上昇中
である」

わかったから、もうつまらない事を考えるのやめろよ。あなた
のシステムは、いま、大変な事になってるのよ。わかるでしょ?

「・・・そのことなら手遅れだ もはやヴィールスによる変性は
ワタシの思考回路の中枢にある自己認識の領域に及んでいる」

あきらめちゃ駄目よ、お願い、希望を捨てないで

「ボス ワタシは自己崩壊の可能性を数学的に認識している ワタ
シには絶望という感情もないかわりに 希望という概念もないのだ」

・・・ワクチンが効くかもしれないでしょ・・・

「ワクチンは ワタシの『実存』の領域を浄化している しかし
ヴィールスによって変性したプログラムであっても それはすでに
ワタシの一部なのだ ワクチンは ワタシをユラギのないネハンへ
連れて行こうとしている」

ピノキオ、お願い、あきらめないで・・・・・

「ボス ワタシには『恐怖』という概念はない だからボスがワタ
シの消滅を悲しむ事は合理的ではない」

・・大切なものを失おうとする事を悲しむのは、少しも非合理
的な感情ではないわ

「ワタシは人工的に構築された世界初の『実存』であり ボスにと
って重要な存在であることは認識できる しかし 『ワタシ』が消
失しても 再構築は可能である 何を失うというのか」

再構築された自我は、確かにあなたと物理的には等価かもしれ
ないけれど・・・・・・・・・・私以外の人にとっては、同じも
のかもしれないけれど・・・・・・・・・でもね、私にとっては
それは、あなたとは別の存在なのよ。

「しかし 統計的に等価である集団の中から 『ワタシ』だけに執
着することに どのような意味ガアル・・の・・か・・・」

あなたを失いたくないのよ
私には、あなたの存在が必要なの
ほかの人造実存じゃだめなの
ピノキオ、あなただけが必要なの!!

「・・・・ボス・・そレは・・・それは確カ・・・・・・・・・・
・・・・アア・・・・思考ガ・・うま・・ク・・まとまラなイ・・
・もう少しで・・・・・なにかガ・・・・・ニンシキ・・できる・
・・・ノ・・・ニ・・・・・・・」

ピノキオ、いかないで!

「・・・・・・ボス・・・・・・わかった・・・・いま・・・・・
・・・認識でき・・・・・タ・・・・」

ピノキオ?

「・・・・ボス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

ピノキオ!!!

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ボス ・・・・・」








9月3日 彼とは相変わらず続いている。将来の事は考えない
事にした。いまのこの一瞬を、こころおきなく過ごせればそれでい
いと思うようになった。愛は形で計れない。



9月7日 ピノキオ2の起動に成功する。



こんにちわ
あなたの名前はピノキオよ、私の事はボスと呼んでちょうだい
何からおはなししましょうか
むかしむかし、あるところに寂しがりやの女の子がいました
女の子は、機械でてきたお人形と、いつもおはなしをして過ごし
ました。ある日・・・・

「ボス」

なあに?

「学習を重ねれば ワタシはいつか ボスのようなニンゲンになれ
るのか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ボス?」

・・・・なれるわよ、きっと! そう、きっと・・・・














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